許された土地

文/謝 明勳(第一代館長)

台鉄高雄港駅は2010年10月24日の縦貫線全通記念日に「打狗鉄道故事館」として新たなスタートを切った。高雄港駅の保存と再利用の方法として小型の鉄道博物館となることは、都市の再開発または鉄道文化資産の保存のいずれにしても象徴的意義があると言える。

高雄港駅は高雄初の鉄道駅で、南台湾の現代文明の発生地だ。1900年から1941年にかけて存在した打狗停車場、打狗駅、高雄駅はそれぞれ新興都市の重要門戸だった。1941年以降は都市の拡張による新たな都市計画の実施により、高雄駅は現在の高雄駅の場所に移転し、縦貫線の旅客列車は新駅発着になったものの、旧駅はやはり全台湾で最も重要な貨物ターミナルとしての役割を担い、2008年の廃止まで、高雄港駅の名は台湾貨物輸送の雄であり続けたのだ。

とはいえ、道路網の整備によるトラック輸送の発達には太刀打ちできなかった。鉄道貨物輸送量は年々減少の一途をたどり、高雄から重工業が流出し、都市中心部が外側に向けて膨張していく中で、高雄港駅と前鎮操車場、高雄車両工場、中島操車場、草悟操車場、苓雅寮操車場を結ぶ臨港線の鉄路は、市内50カ所に踏切を生じさせることになり、高雄の一般市民にとっては、都市の癌でしかなく、早急な解消が求められた。

さらに、2002年になると葉菊蘭代理高雄市長が高雄ランタンフェスティバルの際に愛河河口付近の臨港線鉄橋にウッドデッキを敷き、イベント終了後もそのままにしたため、臨港線は環状運転ができなくなった。その後も臨港線の上にサイクリングロードを整備したり、LRTを建設するなどの計画が立ち上がり、台湾唯一の環状線はずたずたに切り刻まれることとなった。

近年、高雄港駅をめぐる破壊の中で最も大きかったものはメトロ建設によるものだろう。110年の歴史を持つ駅はちょうど高雄メトロオレンジラインの終点西子湾駅となり、扇型車庫や南信号所、貨物ホーム、線路などが2000年前後に解体撤去された。メトロの開通後の今では当然ながら復元できないものであるが、最大の危機は2008年の臨海二路整備プロジェクトだったと言える。本来の計画は幅員30メートルの道路を高雄港駅の中央を横切り、哈瑪星地区の対外道路増強と駐車場整備を目的とするものであった。

このプロジェクトは当初水面下で進められ、発表時に道路計画を知らされた関係者らは寝耳に水の状態であった。発表の時点で商業地、住宅地などのエリア分けもされており、再開発による金儲けが直ちに行われるような状況でもあった。中華民国鉄道文化協会ではさまざまな方法で市長室に対して懸念を伝え、幾度にもわたる会議と調査の末、高雄市政府は可逆的な工法で整備を行い、扇型車庫の軌道は残すことを約束したものの、営建署の補助金3600万元を道路整備に投じる考えを変えず、協会にとって非常に失望を禁じ得ないものであった。ただ、このことで「打狗駅古蹟指定連盟」と「縱貫線鉄道保存協会」が立ち上がり、2009年からこれまでとは違ったアプローチで高雄港駅構内の保存運動が展開されたことは、特筆しておきたい。

2010年6月には史哲文化局長が「打狗駅古蹟指定連盟」の幹部であった劉秋兒氏と李宇軒氏、私を局長室に招き、都市計画案や鉄道文化資産の保存について話し合いの機会を設けた。その際、私は率直に謝長廷時代のランタン鑑賞列車や林欽榮局長が推進した博物館群計画と高雄港駅を鉄道博物館にするという約束は全て嘘だったと訴えた。さらに、これまでの都市計画は市民との対話を経ずに打ち出された破壊的なもので永続的な文化政策ではなく、文化政策は都市開発が立ちはだかるとたちまち転換してしまうか、そもそもなかったことにされてしまうとも。

長年にわたる市政府と接触した経験から、このような話し合いにいささかの期待もしていなかった。史局長とは目の前に置かれていた真空管と鉄道模型について適当に話し合えばいいと思っていた。しかし、この時は事情が違っていた。局長は幼い頃に鉄道模型に触れたことがあり、鉄道への情熱はこの時も冷めてはおらず、協会に対して高雄港駅のジオラマを作って欲しいと要望してきたのだ。そこで私は、高雄港駅が廃止された以上、高雄駅長にわざわざ経費を捻出してもらい管理するのではなく、高雄市政府文化局が管理して、我々が小型の鉄道文化展示場として整備し、中にジオラマを展示すればいいのではないかと提案すると、局長はすぐに快諾。台鉄との話し合いのほか、文建局から委託運用の予算も勝ち取ってきた。正直に言うと、高雄港駅の運営についてこれほどまでに迅速に話が進むとは思っていなかった。高雄市政府の高雄港駅エリアの都市計画と、所有者である台鉄側の保存に対する温度差が大きかったからである。深刻な赤字経営の台鉄からしてみれば、大きな空き地を開発すれば収入につながるわけであるが、都市計画には様々な制約があり、道路建設以外に公園用地を確保した上で、さらに文化施設も捻出しなければならない状況では、利益は決して多くはない。しかも、高雄市政府が文化団体との保存に関する約束を取り付けてしまい、市民からも数々のプレッシャーがかけられれば尚更だ。高雄港周辺エリアが台湾五大都市の再開発エリアに指定されながらも、遅々として都市計画の確定版がだされないままでいた。

ただ、私は高雄港駅の地質が軟弱であるほか、周辺地域開発に対する熱意もなかったため、マンションを建設しても販売に苦戦するだろうと思っていた。しかも、比較的早期に開発された哈瑪星地区と鹽埕地区には開放的な空間がなったことから、高密度開発の案はそもそも反対の声が多かったのだ。私は、台鉄が金儲けをするなら、不動産価格が高雄港駅周辺より比較的いい前鎮操車場や高雄車両工場周辺に積極的に投資すべきだと考えていたのだが、これにも問題があった。前鎮操車場周辺の土地は90%が高雄県にあり、高雄市側はわずか10%で、計画の推進に困難がつきまとったのだ。しかし、2010年12月25日に高雄県と高雄市が合併すると、この問題が克服されて開発の話が一気に進み、高雄港駅エリアの最大限の保存が一転して実現味を帯びた。高雄市政府都発局が前鎮操車場周辺の開発に賛同したことも追い風となり、高雄港駅周辺に関しては、賞金100万元の高雄港駅文化保存と都市再開発のコンペを開催し、広く個人や団体などから開発構想、コンセプト、都市設計の基準を募集するまで漕ぎ着けることに成功したのだ。

2010年10月24日に開館した「打狗鉄道故事館」はこのような政治、文化のムードの中で第一歩を踏み出した。本館の鉄道文化の保存、展示、伝播の面で、廃棄された古い鉄道駅を保存しながら、博物館展示という専門的な手法で、実物の展示と研究に役立てるという、これまで台湾にあった鉄道博物館または文物館にはなかった斬新な方法がとられている。個人的には、1960〜70年代の台鉄貨物全盛期のムードが十分に再現され、内外の観光客が、ありのままの時代の雰囲気を感じられる場所だと思う。展示場には乱雑な解説版はなく、解説員によるガイドやQRコードによる解説のほか、展示物そのものが解説を補うように工夫されている。現在のところ、このような展示は成功しているように思う。実際のところ、海外からの来賓にはすこぶる評判が良く、日本からの訪問客は展示を見て、昭和時代の標準的な国鉄駅だといたく感動していたことが印象的だ。

展示場以外にも、台湾で初めてとなる鉄道資料室を開設し、鉄道文化協会と研究者が寄贈した鉄道図書を陳列している。1951年から発行されている「鉄道公報」は最も完全な状態で保存された一次資料である。また、無料インターネットも提供しており、台鉄時代から使われている古い木製デスクで研究を深めれば、鉄道ファンにはたまらない至福の時であろう。規模は小さいながらも、鉄道研究の重鎮となっている。

また、毎月1〜2回ほど「鉄道文化講座」を開いており、各領域の専門家を招いた講演活動を通じた市民との交流イベントも好評だ。また、開館から今まで、多くの団体が室内や屋外のホームなどを使い、研修や説明会を行っている。今後は交流プラットホームとしての役割をさらに積極的に推進し、地域住民との交流のほか、かつてここで働いていた従業員、ここを利用していた退役軍人などを招いてお話会を開く計画だ。哈瑪星文化協会、塩埕埔文化協会、文化愛河協会、観光導覧協会、鼓山長老協会、武德殿などとも友好な関係を築き、窓口として哈瑪星地区と高雄の歴史を認識する第一歩にしてもらえればと考えている。

さらに、鉄道故事館を将来の高雄鉄道博物館の先駆けとし、鉄道関連の文物と車両の収集と保存にも積極的に取り組んでいる。現在文化局は蒸気機関車の移設と展示を進めており、ボランティアとともに修復を進めた暁には、DT609とCT251がここに展示されることになる。高雄車両工場に保存されている各種形式の貨車もここで保存できればと考えている。10年後には貨物を主体とした大型鉄道博物館になればと期待している。

現段階で鉄道故事館は、市民への学習の場として、文献と資料に関する理念の伝播の場としての重大な責任を背負っている。今後展示とイベントを通じて、さらに鉄道博物館としての文化的価値を高め、コンセンサスの形成に取り組みたい。今後も長い道のりが待っているが、努力していくつもりだ。